NO IMAGE
木曽山の林業労働
木曽山での林業労働者は、作業によって、「杣」「日用」に大別される。杣は産地での伐木・造材専業夫であるが、江戸中期の頃から「小杣」を分岐し、小杣はもっぱら造材を受持つようになった。運材専業夫の日用ももとは杣の兼業であったが、木材の彩運量が増すにつれて杣から日用が分化し、日用は木造りのすんだ材木の谷出し(山落し)から、小谷狩(木曽川本流までの運材)を経て木曽川本流を錦織綱場まで流送する「大川狩」までを担当するようになり、その頃から杣・日用共に、一人の組頭に統率される組織労働者としてそれぞれの作業に従った。木曽山で稼働する杣・日用の多くは王滝村を中心とする山間部の住人であったが杣組の中には裏木曽三……more >>

NO IMAGE
黒瀬街道~トメ吉編~
やぁ元気かい?? ワシは黒瀬街道で荷物の運搬をしていた、とめ吉じゃ。 今日は、ワシが仕事で通っていた黒瀬街道を紹介するぞ! 黒瀬街道は、八百津橋たもとにあった「黒瀬湊」を起点として、苗木、苗木城下までを結ぶ全長約40kmの道幅約120cmの生活道路。人や馬の往来も多く、物資の輸送により、苗木領の人々や各村を支えた大切な道路なんじゃ。  ただのぉ、車が登場してからというもの、幅広い道路が必要とされたから、黒瀬街道は廃道となってしまったんじゃ...  ワシは、毎日通っていたから、街道にあったお地蔵さんの数や、木の本数だって覚えてるぞ!それにね、距離を測りやすいように一里塚も設……more >>

NO IMAGE
黒瀬街道~うま吉編~
やぁこんにちは!! ボクは黒瀬街道で荷物運びをしていた、馬の馬吉です。 今日はね、ボクが仕事で通っていた黒瀬街道を紹介するね! 黒瀬街道はね、八百津橋たもとにあった「黒瀬湊」を起点として、苗木、苗木城下までを結ぶ全長約40kmの道幅約120cmの生活道路。人や馬の往来も多く、物資の輸送により、苗木領の人々や各村を支えた大切な道路なんだよ。  ただね、車が登場してからというもの、幅広い道路が必要とされたから、黒瀬街道は廃道となってしまったんだ...  ボクね、毎日通っていたから、街道にあったお地蔵さんの数や、木の本数だって覚えてるんだよ!それにね、距離を測りやすいように一里……more >>

宝蔵寺の昔話 房姫様物語06
よねは、弟を背負って寺の境内の掃除をした。落葉の清掃は子供にとって大変な仕事だが饅頭を喰った罰として自分から言い出したので、えらくともやらねばならぬと心に決め、実行する”信”の強い少女で有った。 その後は境内ばかりぢゃなく和尚様の毎日のお勤めの準備なども手伝う様になり、お経も何時とはなしに覚えてしまった。時々字なども教えて貰って若干は覚えた。それから数年立ち檀家の法要より葬儀などにも和尚様と一緒に行くようにもなった。 或る時徳行寺の壇徒総代の人が寺に来て『大磐若経六百巻』奈良六十六ヵ所に納むる人が誰かいないか探して居る話を和尚様として居るのを耳にした。 大磐若経六百巻 のお荷……more >>

宝蔵寺の昔話 房姫様物語05
「お~よね」‥…「昨日、私の留守に佛様の饅頭を黙って喰ったのは、よねか」「はい」「饅頭を喰いたいのは解るが、佛様の物を黙って喰ってはいかん。喰いたければ私に饅頭を下さいと何故云わなんだ。まして黙ってとった上、指でアンだけ喰って外の側だけ佛様にお供えするとはけしからん」 よねは堪えて居た涙と声が一気に噴き出し堰を切ったように泣き出した。背中の弟も泣き出した。「和尚様ご免なさい」と一心に断り、「これからは絶対人の物に手を出しませんから許して下さい。」と懸命に断りやっと許しを得た。 和尚様は「解ればいい解ればいい」と云って佛様にお供えして有った”ういろ”を一個呉れた。 和尚様の前……more >>

宝蔵寺の昔話 房姫様物語04
饅頭でポンポコポンの腹に夕食など喰える筈もない。偽病も大変で有る。母は心配してお粥を作って来て「喰え」と言って置いて行ったがお粥などは喰う気にはならず布団をかぶって居ると「腹が痛くてお粥も喰えんでは」と言って今度はセンブリの煮詰めたものを呑めと云って寝床へ持ってきた。これは苦くて苦くて呑めるものではない。(センブリとはトウ薬のせんじた漢方薬で有る)昼は甘い饅頭を腹一杯、今夕は苦い苦い「トウヤク」のせんじ薬を、腹痛を演じた偽病も大変な大芝居で有る。 知らぬうちに寝て目が醒めたら朝になって居た。今日はまた和尚様がどんな顔をして怒るのか…心配でならない。今朝も弟を背負って寺へ行った。和尚……more >>

宝蔵寺の昔話 房姫様物語03
遂に佛様の饅頭によねの手が伸びた。この方法ならば和尚も知らないだろう。上重ねの一個を貰い、寺の階段に尻を据え、人差し指にて中味の"アン"を上手に穿って外側の白い皮を型がくずれぬ様に大きな饅頭を喰って背中の弟にも二、三回指で食べさせた。そして何食わぬ顔で外側の白い部分を佛様お供えしておいて元の位置に戻して日も暮れかけたので家へ帰った。 生まれて初めてこんな旨い物を腹一杯喰ったはいいが、佛様の罰が当たらねばいいがと心配に成って来た。明日は和尚様から大目玉が飛んで来るかも知れぬ。もう喰ってからではおそい。子供の腹に大きな饅頭のアンを腹一杯つめこんだので腹が張ってえらくて早々に布団に潜り込……more >>

宝蔵寺の昔話 房姫様物語02
今日もよねは弟を背負って寺の境内で遊んで居ました。ふと沸様の祭壇を見ると大きな饅頭が一重ね、お供えして有る。これを見たらよねは喰いたくて 喰いたくて 喉から生唾を呑んで、何とか上手に貰って食べられないかを勘考する。 今までこんな饅頭など喰ったことが無い。「こんな饅頭を腹一杯喰ったら旨かろうなぁ」 それ以外は何も思わない。今日は近くで葬式があるらしい。和尚様が寺を出るのは昼前の頃だろう。その時を見計らって 沸様の饅頭を貰うことにした。 でも和尚様に許可も無く貰ってもいいだろうか。和尚様は間もなく葬式に出ていった。黙って 沸様の物を貰えば盗人となる。でもこんな饅頭を喰ったことは……more >>

宝蔵寺の昔話 房姫様物語01
私は寛延元年(1748年)奈良県柏村の一山村の貧しい家の男三人、女四人の」京大を持つ次女に生まれ、その名を”よね”と申します。父母も子供を育てる為に朝早くより、夜おそく迄働いて居り”貧乏人の子沢山”故にその生活も大変でした。 大きい子供は家のお手伝いや子守など一生懸命にお手伝いをしました。私も十二歳に成り弟たちの子守が専門の仕事でした。今日も弟を背負って近くに有る禅宗寺の”徳行寺”にて子守をするのが日課で毎日が暮れておりました。 この徳行寺には五十歳位の和尚様が一人、寺の住職として寺を守り、時には人々の暮しの相談相手になったり手紙などの代筆を頼まれたり、それなりに忙しい和尚様で……more >>