八百津町の歴史房姫様物語⑧

「よね」は長い旅のお勤めを
立派に果たしました。
六十六ヵ所のお寺めぐり、
十日ほど予定を遅れて、
無事に徳行寺に戻ってきました。
和尚さまも村人たちもみな大変に喜び、
「よね」の労をねぎらいました。

「よね」は以前のように
和尚さまのお手伝いをするようになりました。
二十一歳の娘盛りで、お化粧などしなくとも、
十分に美しい娘でした。
「よね」はしばらくしてまた
旅に出ておつとめをしたいと
願うようになりました。

和尚さまにそのことを打ち明けて相談しました。
「若いときでないとできないことだ」
と和尚さまは賛成し、
今度は岐阜の美濃から東濃をめぐる
おつとめになりました。
「よね」は再び出発し、
美濃の細め村から野黒村に来て、
善通寺(現 連田)、浄蓮寺(現 上田)、大日寺(現 苦沢)まで来ました。

房姫桜 引用:福地いろどりむら通信 22号掲載
構成・挿絵:北野玲/参考文献「宝蔵寺の昔話・房姫様物語」(山田貞一)

宝蔵寺は臨済宗・妙心寺派の寺です。
寺の前進である宝蔵寺が、この地に永くありました。 その昔、この地に来た巡礼の女人「よね」が、宝蔵庵で出家して尼僧となり、房姫様と呼ばれて親しまれました。
四十年ほど仏道に勤め、享和二年(一八〇二)に六二歳で浄土に旅立ったのです。

房姫桜はその尼僧を偲んで名付けられたヤマザクラで、樹齢二百数年です。八百津の天然記念物として文化財に指定されています。 周辺の樹木や進入林道の整備など、「房姫桜保存会」(金井正尋代表)では環境保全活動をおこなっています。
4月中旬が見頃で、ライトアップもします。 山里ならではの幻想的な夜桜を是非一度ご覧ください。


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(宝蔵寺住職・小笠原正)
光明山 宝蔵寺 〒505-0422 岐阜県加茂郡八百津町久田見4297
2019/08/19 投稿
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