三湊の位置

現在の八百津橋付近は、その昔橋が架かる前は渡場があり、この渡場の周囲が船着場であった。広い川原があり、川幅も狭く、直深で船積にも大層便利であって、川原には奥から運ばれたものや、下から陸揚された荷物が山積みとなっていた。この川原に享和頃から、長さ二間半、幅四寸ほどの制止杭が一本立てられ、その杭に「細目御役済渡場へ出置候 諸荷物何によらず荷主外乎差候者は、此の杭に縛付置役所へ相達し申候」とあって中々厳重のものであったという。しかし明治年代にはかかる悔いは見当たらなかったそうである。

転載:柘植成實 著
黒瀬街道

[2019/09/09 投稿]