明治40年の記録によると、柿600貫を黒瀬から名古屋まで15円を支払い。塩1駄を笠松から黒瀬まで16銭支払い。
黒瀬船には運賃取りの船ばかりではなく、船主兼船頭が炭・薪などを仕入れて、犬山、笠松などで売りさばく商船もあった。
転載:柘植成實 著
黒瀬街道
明治40年の記録によると、柿600貫を黒瀬から名古屋まで15円を支払い。塩1駄を笠松から黒瀬まで16銭支払い。
黒瀬船には運賃取りの船ばかりではなく、船主兼船頭が炭・薪などを仕入れて、犬山、笠松などで売りさばく商船もあった。
転載:柘植成實 著
黒瀬街道