八百津町の歴史~積載量と船運賃~

 大体、下り船は積載量460貫と言われ、上り船は100貫程度であった。ところが、上り船の場合は、名古屋、桑名から笠松までは1,000貫位積んだとも言われる。運搬物資は時期によって異なるが、黒瀬船を基準にして積荷物と着荷物の2つに分けて品物を列挙すると、

【積荷物】炭・おこし炭・加治屋炭・紺屋炭は船1艘・大俵64・小俵80・薪・割木・挽木類材木・桧曲物・小豆・蒟蒻芋・茶・生糸

【着荷物】青物・野菜・油・石油・生鯖・溜(たまり)・味噌・塩・砂 糖メリケン粉・豆・蜜柑・菓子・乾物・畳表・操綿・唐糸・太物・金物・荒物・古金・藍玉・小間物・陶器

 明治16年の「木曽川筋出入船及物品」という記録をみると、

 運賃定 享和元年2月 何れも黒瀬より 兼山=500文 犬山=1貫80文

桑名=2貫8文 名古屋=2貫688文 大垣=2貫300文

時間朝5時黒瀬出発=その日の夕方5時桑名に着く。

 翌日昼頃に名古屋に着く。帰り、名古屋から千本松原まで1日翌日の晩に黒瀬に着く。

 とある。

2019/09/09 投稿
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