~船の数~

 明治11年から18年まで船数80艘との記録が見られる。同20年4月の調査によると、小廻船79艘、その他9艘(免税船)あって、このころが最高であって次第に少なくなったと思われる。史料によって船の数をひろってみると、前述したように、寛永12年頃は24,5艘。延宝2年は55艘、寛保元年は60艘、天保9年は68艘と徳川時代にだんだんと増して明治に至ったのである。

 寛保元年には黒瀬60艘とあって、木曽川筋の船着場には次のような数字がある。兼山4、川合15、下古井2、太田4、大脇3、取組4、勝山3艘とあり、如何に黒瀬に多くの船があったかわかる。これによって、徳川時代、細目村が物資の集散地であり、東農方面の商工業の中心地をなしていたとも推察される。

 明治22年の調査の際には80艘程とあるが、これは黒瀬のみでなく他地域も含まれている。この調査はその頃の番地ごとに調査結果がまとめられており、3番地は1艘、4番地は1艘、5番地は3艘、7番地は1艘、9番地と10番地は10艘、11番地は21艘、12番地は22艘、13番地は10艘、14番地は6艘となっていた。

(注 3番地=大沢、4番地=諸田、5番地=油皆洞、7番地=八幡、9番地=大宮、10番地=栄、11番地12番地13番地=港、14番=旭となっている)」

転載:柘植成實 著
黒瀬街道

[2019/09/09 投稿]