
舟運で栄えた八百津を行き交う商人たちにとって、細目村の「黒瀬湊」から恵那や苗木城下へと続く「黒瀬街道」は、物資を運ぶうえで欠かせない重要な搬入路でした。 昭和18年12月、兼山ダムの完成により、木曽川を行き交っていた舟の姿はすっかり消えてしまいました。船頭たちは水を離れ、木曽川の風景も大きく変わりました。かつて栄えた黒瀬湊も、川底深くに水没してしまったのです。 長い歴史を誇った黒瀬舟の舟運も、こうしてその幕を閉じました。 今では、湊の名残をとどめる灯台が川上神社の常夜灯として残り、舟の安全を静かに祈り続けています。
細目村(ほそめむら)は、かつて岐阜県加茂郡にあった村で、現在の八百津町八百津地区の旧称です。明治22年(1889年)の町村制施行時に、細目村は八百津町と改称されました