コース内容
錦織綱場 [エリア01]
錦織綱場の開設年代は鎌倉時代に起源すると言われ、足利時代の永正年間には、錦織村河上綱場、筏場の両役所があって、通関及び使用料を取り立てていたという記録がある。
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黒瀬湊 [エリア02]
舟と馬が行き交ったまち――八百津の「舟運」と「黒瀬街道」
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舟運で栄えた八百津 [のんびりまち歩き]

木曽川を利用した水運と、黒瀬街道などの道を使った陸上交通を中心に発達した町

八百津(やおつ)は、木曽川(きそがわ)の上流で切られた木を筏(いかだ)に組む、大切な場所でした。
また、木だけでなく、いろいろな商品がやりとりされる「交易(こうえき)」の町としてもにぎわっていました。

「錦織湊(にしこおりみなと)」は、江戸時代になると木材を集めたり、筏を組んだりする場所として発展しました。
ここには「尾張藩(おわりはん)」の材木を管理する役所も置かれていました。

一方、「黒瀬湊(くろせみなと)」は、木曽川舟運の中でももっとも上流にあった湊(みなと)で、商業の町として栄えました。
今の「八百津町本町通り(ほんまちどおり)」にあたる道には、昔からたくさんの店や問屋(とんや)が並び、定期市(ていきいち)も開かれていました。
この通りは、黒瀬湊から北に向かって伸びる道沿いにあります。

徳川時代の元禄(げんろく)のころには、舟運の発展とともに「八百津だんじり祭(やおつだんじりまつり)」も盛んになり、
人や物、お金が集まり、町はとてもにぎやかで豊かな時代をむかえました。