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房姫様物語⑦

あるとき和尚さまの所に
「六部となって
旅に出られる人は
だれかいないか」
という話がきました。
六部とは、
六はんにゃ経六百巻を
六十六ヵ所のお寺に納めてゆく人のことです。
六十日ほどかけてお寺をめぐってゆく
それはもう大変な仕事です。

和尚さまは悩みましたが、この仕事を、
「よね」にやらせてみようと思いおました。
話を聞いた「よね」はとても不安でしたが、
引き受けることにしました。

和尚さまは喜び、観音さまの像と、美しく輝く石の玉をくれました。
またお寺の檀家は、身を守るための短刀をくれました。
「よね」はそれらを大事に身につけて、長い旅に出発しました。

房姫桜 引用:福地いろどりむら通信 21号掲載
構成・挿絵:北野玲/参考文献「宝蔵寺の昔話・房姫様物語」(山田貞一)

宝蔵寺は臨済宗・妙心寺派の寺です。
寺の前進である宝蔵寺が、この地に永くありました。 その昔、この地に来た巡礼の女人「よね」が、宝蔵庵で出家して尼僧となり、房姫様と呼ばれて親しまれました。
四十年ほど仏道に勤め、享和二年(一八〇二)に六二歳で浄土に旅立ったのです。

房姫桜はその尼僧を偲んで名付けられたヤマザクラで、樹齢二百数年です。八百津の天然記念物として文化財に指定されています。 周辺の樹木や進入林道の整備など、「房姫桜保存会」(金井正尋代表)では環境保全活動をおこなっています。
4月中旬が見頃で、ライトアップもします。 山里ならではの幻想的な夜桜を是非一度ご覧ください。


—–
(宝蔵寺住職・小笠原正)
光明山 宝蔵寺 〒505-0422 岐阜県加茂郡八百津町久田見4297
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房姫様物語⑥

「よね」は翌朝から人が変わったように
熱心に働く子になりました。
弟を背負ったままで
境内の掃除をするのは、
決して楽な仕事ではありません。
それでも「よね」は落葉清掃など
とても熱心にやるようになり、
和尚さまを関心させる子になりました。

その後は和尚さまの
毎日のお勤めの準備も
手伝うようになりました。
お経も毎日聞いているうちに、
いつの間にか覚えてしまいました。

その後、数年がたちました。
弟を背負わなくてもよいようになると、
檀家の法要や葬儀にも
和尚さまについていって
お手伝いをするようになりました。

房姫桜 引用:福地いろどりむら通信 20号掲載
構成・挿絵:北野玲/参考文献「宝蔵寺の昔話・房姫様物語」(山田貞一)

宝蔵寺は臨済宗・妙心寺派の寺です。
寺の前進である宝蔵寺が、この地に永くありました。 その昔、この地に来た巡礼の女人「よね」が、宝蔵庵で出家して尼僧となり、房姫様と呼ばれて親しまれました。
四十年ほど仏道に勤め、享和二年(一八〇二)に六二歳で浄土に旅立ったのです。

房姫桜はその尼僧を偲んで名付けられたヤマザクラで、樹齢二百数年です。八百津の天然記念物として文化財に指定されています。 周辺の樹木や進入林道の整備など、「房姫桜保存会」(金井正尋代表)では環境保全活動をおこなっています。
4月中旬が見頃で、ライトアップもします。 山里ならではの幻想的な夜桜を是非一度ご覧ください。


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(宝蔵寺住職・小笠原正)
光明山 宝蔵寺 〒505-0422 岐阜県加茂郡八百津町久田見4297
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房姫様物語⑤

「まんじゅうを食いたいのはよくわかるが」
和尚さまはやさしい声で言いました。
「仏さまのものを、黙って食ってはいかん。
食いたければ、
私にまんじゅうをくださいと
なぜ言わなんだ。
まして黙ってとったうえ、
指でアンだけ食って、外の皮だけ
仏さまにお供えするとはけしからん」

「よね」はがまんしてきた涙と声が
一気にふきだし、大声で泣きました。
「和尚さま、ごめんなさい。
もう人のものには手をだしません」
心からあやまりました。

「わかればいい」
和尚さまはそう言って、
仏さまにお供えしてあったウイロウを
くれました。
和尚さまの前で堂々と食べるウイロウは
本当においしいウイロウでした。
「よね」はうれしくて、おいしくて、
泣きながらウイロウを食べました。

房姫桜 引用:福地いろどりむら通信 19号掲載
構成・挿絵:北野玲/参考文献「宝蔵寺の昔話・房姫様物語」(山田貞一)

宝蔵寺は臨済宗・妙心寺派の寺です。
寺の前進である宝蔵寺が、この地に永くありました。 その昔、この地に来た巡礼の女人「よね」が、宝蔵庵で出家して尼僧となり、房姫様と呼ばれて親しまれました。
四十年ほど仏道に勤め、享和二年(一八〇二)に六二歳で浄土に旅立ったのです。

房姫桜はその尼僧を偲んで名付けられたヤマザクラで、樹齢二百数年です。八百津の天然記念物として文化財に指定されています。 周辺の樹木や進入林道の整備など、「房姫桜保存会」(金井正尋代表)では環境保全活動をおこなっています。
4月中旬が見頃で、ライトアップもします。 山里ならではの幻想的な夜桜を是非一度ご覧ください。


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(宝蔵寺住職・小笠原正)
光明山 宝蔵寺 〒505-0422 岐阜県加茂郡八百津町久田見4297
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房姫様物語④

翌朝になりました。
「よね」はいつものように弟を背負って
お寺に行きました。
今朝は和尚さまはどんなお顔だろう。
心配でなりませんでした。
和尚さまは朝のお勤めの用意で
忙しそうに掃除しておられました。
昨日のまんじゅうはもうありませんでした。

お経が始まるとき、和尚さまが言いました。
「よね、ここへ来て、
私と一緒にお参りしなさい」
「よね」は和尚さまの後に正座し、
弟を背負ったまま小さな手を合わせました。
いつ和尚さまのカミナリがおちるかと
心配で心配で、朝のお勤めも上の空でした。

お経が終わると、
和尚さまは静かに話しかけました。
「よね、昨日のことだが、私の留守に
仏さまのまんじゅうを黙って食べたのは、
よねだな」
「はい」
「よね」は正直に返事しました。

房姫桜 引用:福地いろどりむら通信 18号掲載
構成・挿絵:北野玲/参考文献「宝蔵寺の昔話・房姫様物語」(山田貞一)

宝蔵寺は臨済宗・妙心寺派の寺です。
寺の前進である宝蔵寺が、この地に永くありました。 その昔、この地に来た巡礼の女人「よね」が、宝蔵庵で出家して尼僧となり、房姫様と呼ばれて親しまれました。
四十年ほど仏道に勤め、享和二年(一八〇二)に六二歳で浄土に旅立ったのです。

房姫桜はその尼僧を偲んで名付けられたヤマザクラで、樹齢二百数年です。八百津の天然記念物として文化財に指定されています。 周辺の樹木や進入林道の整備など、「房姫桜保存会」(金井正尋代表)では環境保全活動をおこなっています。
4月中旬が見頃で、ライトアップもします。 山里ならではの幻想的な夜桜を是非一度ご覧ください。


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(宝蔵寺住職・小笠原正)
光明山 宝蔵寺 〒505-0422 岐阜県加茂郡八百津町久田見4297
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房姫様物語③

あまいアンをお腹いっぱい食べたものの、
家に帰った「よね」は
だんだん不安になってきました。
こんなことをして、
ほとけさまのバツが当たったらどうしよう。
「よね」は心配で心配で、
おふとんにもぐりこんでしまいました。

ばんごはんにも「よね」が
起きてこないので、
お母さんは心配になりました。
「よね、どうしたの?」とお母さん。
「お腹がいたい」と「よね」は
ウソをつきました。
本当はお腹がいっぱいで、
ばんごはんが入らないのでした。

お母さんは心配してオカユをつくり、
「よね」のまくらもとに置きました。
ところが「よね」が
それも食べないので、
今度は煮つめたセンブリを
持ってきました。
「これを飲みなさい」
センブリとは漢方薬なんですが、
それはもう苦くて苦くて、
「よね」は顔をしかめて飲みました。

房姫桜 引用:福地いろどりむら通信 17号掲載
構成・挿絵:北野玲/参考文献「宝蔵寺の昔話・房姫様物語」(山田貞一)

宝蔵寺は臨済宗・妙心寺派の寺です。
寺の前進である宝蔵寺が、この地に永くありました。 その昔、この地に来た巡礼の女人「よね」が、宝蔵庵で出家して尼僧となり、房姫様と呼ばれて親しまれました。
四十年ほど仏道に勤め、享和二年(一八〇二)に六二歳で浄土に旅立ったのです。

房姫桜はその尼僧を偲んで名付けられたヤマザクラで、樹齢二百数年です。八百津の天然記念物として文化財に指定されています。 周辺の樹木や進入林道の整備など、「房姫桜保存会」(金井正尋代表)では環境保全活動をおこなっています。
4月中旬が見頃で、ライトアップもします。 山里ならではの幻想的な夜桜を是非一度ご覧ください。


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光明山 宝蔵寺 〒505-0422 岐阜県加茂郡八百津町久田見4297
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房姫様物語②

その日、徳行寺の和尚さまは
外で用事があるらしく、
昼前にお寺を出ていきました。
「よね」はふと思いついた方法を
どうしてもやってみたくなり、
とうとうほとけさまのまんじゅうに
手をのばしてしまいました。

お寺の階段に座り、
饅頭に人差し指をつっこんで、
中身のアンだけを上手にすくって
食べてしまいました。
背中の弟にもすくったアンを
指で食べさせました。

すっかりアンを食べてしまうと、
外側の白いところをそのまま残して、
もとどおりの場所に戻しました。
日も暮れかけたので、
家に帰りました。

房姫桜 引用:福地いろどりむら通信 16号掲載
構成・挿絵:北野玲/参考文献「宝蔵寺の昔話・房姫様物語」(山田貞一)

宝蔵寺は臨済宗・妙心寺派の寺です。
寺の前進である宝蔵寺が、この地に永くありました。 その昔、この地に来た巡礼の女人「よね」が、宝蔵庵で出家して尼僧となり、房姫様と呼ばれて親しまれました。
四十年ほど仏道に勤め、享和二年(一八〇二)に六二歳で浄土に旅立ったのです。

房姫桜はその尼僧を偲んで名付けられたヤマザクラで、樹齢二百数年です。八百津の天然記念物として文化財に指定されています。 周辺の樹木や進入林道の整備など、「房姫桜保存会」(金井正尋代表)では環境保全活動をおこなっています。
4月中旬が見頃で、ライトアップもします。 山里ならではの幻想的な夜桜を是非一度ご覧ください。


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房姫様物語①

房姫桜-房姫様物語①-

「よね」という名前の娘がいました。寛延元年(1748年)、奈良県柏村の貧しい家に生まれました。男3人、女4人の兄弟を持つ次女でした。

「貧乏人の子だくさん」と言われているとおり、生活は大変で、年上の子供たちは、家の手伝いや子守など、一生懸命に働きました。「よね」も12歳となり、弟たちの子守が毎日の仕事でした。


ある日、「よね」は幼い弟を背負い、近くにある徳行寺の境内で、子守をしていました。
ふとほとけさまの祭壇を見ると、それはそれは大きな饅頭が、日と重ねしてお供えしてあります。

「よね」はそのまんじゅうが食べたくて食べたくて、つばを飲みながらあれこれ試案しました。なんとかうまい方法でたべることができないか。

房姫様物語②に続きます。

房姫桜 引用:福地いろどりむら通信 15号掲載
構成・挿絵:北野玲/参考文献「宝蔵寺の昔話・房姫様物語」(山田貞一)

宝蔵寺は臨済宗・妙心寺派の寺です。
寺の前進である宝蔵寺が、この地に永くありました。 その昔、この地に来た巡礼の女人「よね」が、宝蔵庵で出家して尼僧となり、房姫様と呼ばれて親しまれました。
四十年ほど仏道に勤め、享和二年(一八〇二)に六二歳で浄土に旅立ったのです。

房姫桜はその尼僧を偲んで名付けられたヤマザクラで、樹齢二百数年です。八百津の天然記念物として文化財に指定されています。 周辺の樹木や進入林道の整備など、「房姫桜保存会」(金井正尋代表)では環境保全活動をおこなっています。
4月中旬が見頃で、ライトアップもします。 山里ならではの幻想的な夜桜を是非一度ご覧ください。


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(宝蔵寺住職・小笠原正)
光明山 宝蔵寺 〒505-0422 岐阜県加茂郡八百津町久田見4297